2012年3月29日木曜日


チャールズ・ディケンズ 「クリスマス・キャロル」と予知の話

今日はGoogleのトップページが、チャールズ・ディケンズの生誕200周年を記念したものになっていますね。

とてもかわいいです。

チャールズ・ディケンズwiki

私は、ディズニーで制作したディケンズの「クリスマス・キャロル」がとても良かったと聞いて、

ずっと見たかったのですが、いまだに見ていません。

あらすじによると、一人の欲まみれのスクルージという老人が、クリスマスに3人の妖精「過去の精霊」、「現在の精霊」、「未来の精霊」の訪問を受け、自分の真の人生の姿を目の前に見せられる話で、自らの行動について非常に後悔し、現代に戻って、まだやり直しがきくと気づき、まったく別の行動を取ることを選択するという話のようです。

ディケンズは、貧しい少年時代の経験から、弱い立場にある人々のために作品を残したのだといいます。

私も是非この作品を観たいと思います。

ところで、このお話の様に、人には、「過去の自分」、「現在の自分」、「未来の自分」があるわけですが、このすべての自分の姿と、「自分の中の自分(無意識の本当の自分)」が意思疎通した時に、

いくらでも今の自分を改めて、行動を起こすことができるのですよね。

それが人間に秘められた奇跡の力なのかなと思います。

人間は、記憶をとどめ、未来を変える力も持っている不思議な生物です。

クリスマスに訪れた精霊は、醜く強欲な人物、寂しく悲惨な人生の最期を迎えるはずだったスクルージ老人にも、このようなインスピレーションを与えて、最高のプレゼントをしたわけです。

2012年3月27日火曜日


本稿には「未来のエネルギー(Energy of the future)」というテーマに関する引用文の選集を発表する。これはマイトレーヤの教え(マイトレーヤからのメッセージ『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師のことば(『覚者は語る』)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

この来るべき時代は「光の時代」として知られるだろう。そしてあらゆる意味と顕現を含めた「光」が人間の起源となるだろう。見る目のある者にとって、人間が「光の部屋」に通じる扉を叩き始めている徴はすでに見えている。人間が、新しい洞察とテクノロジー(科学工業技術)が意味するものに取り組むにつれて、古くからの闇と無知は消え去っていく。間もなく、「光の科学」が、「聖なる科学」が、人間の驚嘆した凝視の中に明かされるだろう。そうして人間の進化の旅路における一つの重要な目標が達成されるだろう。
現在まで、ほんの少数の専門家のみがこの「光の科学」に接近することができたのだが、この恩恵をすべての者の利益のために使えるようにするためのステップがすでに取られている。エネルギーおよび光についてのすべての人間の必要は、簡単にかつ安全に満たされるだろう。太陽そのものがこの目的のために利用される。
(『覚者は語る』―光の時代―p.245-246)

人類がその一体感を認識していくにつれて、そして分かち合い、正義、自由を通して戦争を過去のものにしていくにつれて、新しい科学、「光の科学」が少しずつ確立されていくでしょう。戦争がなくなるとき、戦争が完全に放棄されるとき、そして戦争のための武器が破壊されるとき、「光の科学」が人類に与えられるでしょう。これは途方もない科学であり、すでにそれを実際的にするためのステップが取られつつあると、覚者は言われます。
(『光の勢力は集合する』p.202)

近い将来開発される新しいテクノロジー――常温核融合――があります。今から数年のうちに、常温核融合が地球のエネルギーの必要のかなりの割合を生み出すようになるでしょう。しかしその後にもう一つの、マイトレーヤが光のテクノロジーと呼ぶものが紹介され、それが私たちすべての必要のためのエネルギーを無尽蔵に提供するでしょう。
工場はロボットによって運営されるようになります。私たちは今日工場で自動車を生産しているロボットを非常に洗練されたものと考えていますが、未来のロボットに比較すれば、それらはそのテクノロジーの原始的な始まりにすぎません。思考のみによって、日常生活に必要な工芸品を作る機械を私たちは創造するでしょう。このことは人間に、自分の本来の性質の探究やレクリエーションや創造的仕事のための時間をもたらすでしょう。全く新しい高度に洗練された技術社会が創造されますが、それは私たちが自分たち自身を一つの人類であると見なすときにのみ可能です。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅲ巻』p.215)

2012年3月25日日曜日


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2012年3月22日木曜日

2月19日に公開されたクリント・イーストウッド監督の新作ですが、津波のシーンがあることで、3月18日をもって上映が終了。 仕方がないですね。

アッシが観たのは3月5日。
津波のシーンに「うぉ〜、すげ〜。」なんて、のんきに観てた6日後・・・・。
悪い夢としか思えない・・・。

震災から1ヶ月たちました。
未だ続く余震。 どうしたんだよ、地球・・・。
原発も不安ですが、懸命の作業に当たっている人たちを信じるのみです。

家族の誰かが、未だ見つかっていない人、これからの生活をどうしようかと途方に暮れてる人たちのニュースを見てるといたたまれません。

被災者のみなさん、少しずつでも一歩一歩、前へ前へです。
一日一回、一日一つ、小さなことでも何か楽しいこと、嬉しかったことを見つけたり感じたりしてください。
元気を出せば希望の光が絶対見えます。 
「絶対、また元の生活に戻るんだ、負けてたまるか。」と、強い心で上を向いて歩きましょう。

2012年3月20日火曜日

一歩一歩、確実に準備が進んでいると聞き及んでいる「仙台カジノ構想」ですが、一方で国内カジノ関係者の中で公然とこれを批判する者も出てき始めているようです。彼らの弁によれば「今から合法化が行われてカジノが出来たとしても、開業するまでに5年はかかる。仙台カジノは震災復興に寄与しない」だそうです。

何を企んでいるのか、もしくは自分の手が届かないところでカジノ論議が活発に行われるのが単純に気に入らないのか、一部関係者がそういう理論を打ち立てて業界内のコンセンサスにしようと派手に吹聴して廻っているようです。私としては「非常に不謹慎かつ、不見識な人達だな~」としか思いません。しかも、その目論見は今のところ残念ながら大外れでIR議連も復興モードに完全にシフトしている訳で� ��が、一応、以下にそういった方々のキャンペーンに対する私なりの反論を纏めておきます。

1)なぜ開業が5年先だと復興に資さないのか?
最初に思うのが、彼らは今回の震災復興のタイムフレームをどのように捉えているのだろうか?という点。三陸全域の都市機能が壊滅した今回の被災からの復興には10年、15年の期間が必要だと言われています。例えば、当の被災地である宮城県自身が全体のタイムフレームを、復旧期(3年),再生期(4年),発展期(3年)に区分しながら10年がかりの復興計画を描いているわけです。

【参照】宮城県震災復興計画

 
ここまで治る!
先端医療

《図解》 「治らない病気」に先端医療の期待高まる

■週刊東洋経済

出版社: 東洋経済新報社
発行間隔:週刊

最新号
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週刊東洋経済

□ 2010/01/18発売号

COVER STORY
ここまで治る!
先端医療

P.40 《図解》 「治らない病気」に先端医療の期待高まる

《PARTT│がん》

治療法の選択肢が拡大

P.42 【(1) 標準治療と先端医療】 手術、放射線、化学療法…標準治療も成績改善進む

P.44 【(2) 粒子線治療】 従来型の放射線より効果大、課題は高額治療費と建設費

P.47 【(3) ロボット手術】 出血少なく早期の社会復帰も可能

P.49 COLUMN| ピロリ菌感染者が激減、胃がん検診にエックス線は不要?

P.50 【(4) 新規がん治療薬】 激化の一途をたどる分子標的薬の開発競争

P.53 COLUMN| DDS(ドラッグデリバリーシステム) 新たな抗がん剤の可能性

P.54 【(5) がんワクチン】 新薬に向けた治験が加速、「第4の治療法」に現実味

P.57 COLUMN| 子宮頸がん予防ワクチン 検診との連携体制構築がカギ

《PARTU│心臓・脳》

最新機器で治療が変わる

P.58 【(1) 心臓・脳の病気】 原因は同じ、血管の異常がもたらす病

2012年3月18日日曜日

23時のニュース
(全国)とみー(中川富雄)
(関東)ふじさん(藤原尚武)

「ラジオリオデジャネイロ」
ゆき…おちゃん、オープニングでコンビニのバイトの労をねぎらってました。
頭のいい人は言うことが違いますね。ポカーンやったわ。

日の出の時刻
どうせリスナーは馬鹿ですよ回

0時のニュース
ふじさん。てか、おじさん。

「世界の天気」でリオデジャネイロが怪しかったし。前にも書いたように思います。

1時のニュース
おじさん
税のトピックからスタート(記憶によります)

2012年3月17日土曜日

サルトルと映画、その後[1]

Sartre et le cinéma, après

Shuji MORITA

 

 

サルトルと映画の関係について、筆者はすでに4本の論考を上梓した[2]。本稿は先行論文と内容的に一部ダブるところもあるが、サルトル学における1990年以降の成果も踏まえ、新しい視点も加えた研究動向の最新報告である。その意味で「その後」とした。

1)不幸な関係

サルトルといえば、哲学、小説、戯曲の著作が知られているが、映画のシナリオも十数本書いている(巻末の書誌及びフィルモグラフィー参照)。アーサー・ミラーのThe Crucibleを翻案した『サレムの魔女』、ジョン・ヒューストン監督に依頼された『フロイト』のシナリオなど戦後にスポットで引き受けたものもあるが、全シナリオのうち8本ほどは実は194311月から1年ほどの間に書かれていたことが明らかになっている。ちょうどパテ映画社の契約シナリオ・ライターをしていた時期に当たる[3]194310月付けの契約書によれば、サルトルは2年間にわたって、毎年6本のシナリオを提供することになっていたが、サルトルとしては初年度に前倒しでできるだけ書こうとしたようだ[4]。このうち映画化に至った『狂熱の孤独』の原作である『チフス』と『賭はなされた』のシナリオは1943年〜44年の冬に書かれており、両作品のカット割りも、シナリオライターのNino Frankの助けを借りて1944年前半には終わっていた。

パリ解放は19448月だからサルトルがシナリオを書きためていたこの時期はドイツ占領時代のちょうど末期にあたる。この頃のサルトルの執筆力はまさに驚異的で、1943年〜44年の2年間に哲学では『存在と無』、戯曲では『蠅』と『出口なし』、小説『自由への道』の第二巻(『猶予』)、さらに多くの文芸評論もものしている[5]。シナリオにしても1年たらずで8本というのは記録的なスピードだったようだ[6]。忘れてならないのは、この時点でサルトルの本業はリセの哲学教師であったことだ。尤もこちらの方はパテ映画社の給与のおかげで(高給だったらしい)1944年の春にやめている。

 

こうした多作の蜜月を経たにも拘わらず、サルトルと映画の関係は不幸な関係であると通常いわれる。サルトル自身、映画製作への参加は「見るも無惨な失敗ばかりだった」と慨嘆している。

確かにパテ映画社向けに書いたシナリオの多くは結局映画化されなかった。また、映画化された場合でも、『狂熱の孤独』もそうだが、ジョン・ヒューストン監督の『フロイト』にしてもクレジット・タイトルにサルトルの名はない。監督と相性が悪いのか、あるいはサルトルは監督の下での共同作業にはそもそも向いていなかったことが原因として考えられる。

不幸のもう一つの理由として、そもそも監督や脚本家に恵まれていなかった可能性もある。『狂熱の孤独』の台詞を書いた二人Jean AurenchePierre Bost、監督のYves Allegret、また『賭はなされた』の監督Jean Dellanoyはいずれも若き日のFrançois Truffautが「フランス映画のある傾向」[7]という名だたる評論のなかでこき下ろしたいわゆる「良質の伝統」に属する監督、脚本家たちに他ならない。実存主義の名の下に人間存在の新しいとらえ方を提示しつつあったサルトルが、こと映画制作においては伝統的な枠の中からでることができなかったという逆説が両者の不幸な関係につきまとうことになる。ただ、この点についてはサルトル自身、そもそもパテ映画社の文芸路線で雇われていたわけで、おかれた状況でサルトルが何をなしえたかが、我々としては関心のあるところだ。

 

今度は時間を遡り、観客としてのサルトルにとって映画との関係はどうであったのか、要するにサルトルのシネフィルとしての側面について述べてみたい[8]。サルトルの映画に対する情熱、映画からの影響は自伝の『言葉』にも印象深く書かれているが、サルトルは映画との関係を原体験としてとらえていたふしがある。そのせいか意識的かどうかはともかく映画に対しては距離をおかず、極めて親密な関わりを維持し続けたように思う。サルトルは「自分に逆らって考える人間」として自己規定していたが、こと映画に関してはあまり自分に抗ったようには思えない。無声映画への思いを持ち続け、トーキー後もサスペンスフルな映画を好んだ。晩年のサルトルはジョン・ブアマンの『脱出』(Delivrance, 1972)という映画を大いに気に入っていたという話をサルトル研究者のミッシェル・コンタ氏から聞いたことがある。反対に彼があまりにも「知性主義的」だと考える映画は酷評し、例えば、オーソン・ウェルズの『市民ケーン』(Citizen Kane, 1941)についても批判的な評論を書いている。当然、ゴダールは受け入れることができなかった。