ミシガン準州(ミシガンじゅんしゅう、英:Michigan Territory)は、1805年6月30日から1837年1月26日までのアメリカ合衆国の自治的領域である。1837年にアメリカ合衆国第26番目の州に昇格し、ミシガン州となった。準州の首都はデトロイトであった。
[編集] 歴史および政府
[編集] 前史
ヨーロッパ人の到来とともに、ミシガンはまずフランスの植民地に、続いてイギリスの支配下に入った。アメリカ独立戦争に続いて、アメリカ合衆国の幾つかの邦がこの地域の領有権を主張して争った。1779年、バージニア邦はミシシッピ川の東、オハイオ川の北、アパラチア山脈の西のすべての領土をイリノイ郡として自邦に属するものとした。しかし、あらゆる実務面を遂行するはずの郡政府は、実際には大きな川沿いにあった元フランスの開拓地を支配するに留まっていた。他の邦、ニューヨーク、コネチカットおよびマサチューセッツの各邦もこの地域の領有を主張することになった。
最終的に、領有権主張していた各邦がその主張を取り下げ、1787年、アメリカ合衆国議会は北西部領土を創設した。この時、後にミシガン州となる領域には自治的な組織がなかった。1790年6月20日にロウアー半島の西半分とアッパー半島の大部分を含む領域がノックス郡となった。1792年、オハイオのハミルトン郡が拡張され、ノックス郡に含まれていないロウアー半島の東半分を含むことになった。1796年8月15日、ウェイン郡がノックス郡とハミルトン郡から分離して創設され、現在のミシガン州の大部分と、オハイオ州、インディアナ州およびウィスコンシン州の一部を含むことになった。
1800年ミシガンの西半分はインディアナ準州に付属することになり、北西部領土とは別の新しい政府が作られた。ウェイン郡はミシガンの東半分に縮小され、北西部領土の一部に留まった。ノックス郡はインディアナ準州に遷され、1801年、その領域はロウアー半島の西部大半とアッパー半島のほんの一部となった。インディアナ準州のセントクレア郡がアッパー半島の西部と、ミシガン湖に沿ったロウアー半島の小さな領域を含むように拡張された。
1803年、オハイオがアメリカ合衆国の州に昇格し、ミシガンの東半分はインディアナ準州に属することになった。この時に、それまでのウェイン郡は存在を終え、新しいウェイン郡がノックス郡およびセントクレア郡から創出され、ロウアー半島の全部、アッパー半島の大部分、イリノイ州、インディアナ州およびウィスコンシン州の大部分を含むことになった。
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