サルトルと映画、その後[1]
Sartre et le cinéma, après
森 田 秀 二
Shuji MORITA
サルトルと映画の関係について、筆者はすでに4本の論考を上梓した[2]。本稿は先行論文と内容的に一部ダブるところもあるが、サルトル学における1990年以降の成果も踏まえ、新しい視点も加えた研究動向の最新報告である。その意味で「その後」とした。
1)不幸な関係
サルトルといえば、哲学、小説、戯曲の著作が知られているが、映画のシナリオも十数本書いている(巻末の書誌及びフィルモグラフィー参照)。アーサー・ミラーのThe Crucibleを翻案した『サレムの魔女』、ジョン・ヒューストン監督に依頼された『フロイト』のシナリオなど戦後にスポットで引き受けたものもあるが、全シナリオのうち8本ほどは実は1943年11月から1年ほどの間に書かれていたことが明らかになっている。ちょうどパテ映画社の契約シナリオ・ライターをしていた時期に当たる[3]。1943年10月付けの契約書によれば、サルトルは2年間にわたって、毎年6本のシナリオを提供することになっていたが、サルトルとしては初年度に前倒しでできるだけ書こうとしたようだ[4]。このうち映画化に至った『狂熱の孤独』の原作である『チフス』と『賭はなされた』のシナリオは1943年〜44年の冬に書かれており、両作品のカット割りも、シナリオライターのNino Frankの助けを借りて1944年前半には終わっていた。
パリ解放は1944年8月だからサルトルがシナリオを書きためていたこの時期はドイツ占領時代のちょうど末期にあたる。この頃のサルトルの執筆力はまさに驚異的で、1943年〜44年の2年間に哲学では『存在と無』、戯曲では『蠅』と『出口なし』、小説『自由への道』の第二巻(『猶予』)、さらに多くの文芸評論もものしている[5]。シナリオにしても1年たらずで8本というのは記録的なスピードだったようだ[6]。忘れてならないのは、この時点でサルトルの本業はリセの哲学教師であったことだ。尤もこちらの方はパテ映画社の給与のおかげで(高給だったらしい)1944年の春にやめている。
こうした多作の蜜月を経たにも拘わらず、サルトルと映画の関係は不幸な関係であると通常いわれる。サルトル自身、映画製作への参加は「見るも無惨な失敗ばかりだった」と慨嘆している。
確かにパテ映画社向けに書いたシナリオの多くは結局映画化されなかった。また、映画化された場合でも、『狂熱の孤独』もそうだが、ジョン・ヒューストン監督の『フロイト』にしてもクレジット・タイトルにサルトルの名はない。監督と相性が悪いのか、あるいはサルトルは監督の下での共同作業にはそもそも向いていなかったことが原因として考えられる。
不幸のもう一つの理由として、そもそも監督や脚本家に恵まれていなかった可能性もある。『狂熱の孤独』の台詞を書いた二人Jean Aurenche、Pierre Bost、監督のYves Allegret、また『賭はなされた』の監督Jean Dellanoyはいずれも若き日のFrançois Truffautが「フランス映画のある傾向」[7]という名だたる評論のなかでこき下ろしたいわゆる「良質の伝統」に属する監督、脚本家たちに他ならない。実存主義の名の下に人間存在の新しいとらえ方を提示しつつあったサルトルが、こと映画制作においては伝統的な枠の中からでることができなかったという逆説が両者の不幸な関係につきまとうことになる。ただ、この点についてはサルトル自身、そもそもパテ映画社の文芸路線で雇われていたわけで、おかれた状況でサルトルが何をなしえたかが、我々としては関心のあるところだ。
今度は時間を遡り、観客としてのサルトルにとって映画との関係はどうであったのか、要するにサルトルのシネフィルとしての側面について述べてみたい[8]。サルトルの映画に対する情熱、映画からの影響は自伝の『言葉』にも印象深く書かれているが、サルトルは映画との関係を原体験としてとらえていたふしがある。そのせいか意識的かどうかはともかく映画に対しては距離をおかず、極めて親密な関わりを維持し続けたように思う。サルトルは「自分に逆らって考える人間」として自己規定していたが、こと映画に関してはあまり自分に抗ったようには思えない。無声映画への思いを持ち続け、トーキー後もサスペンスフルな映画を好んだ。晩年のサルトルはジョン・ブアマンの『脱出』(Delivrance, 1972)という映画を大いに気に入っていたという話をサルトル研究者のミッシェル・コンタ氏から聞いたことがある。反対に彼があまりにも「知性主義的」だと考える映画は酷評し、例えば、オーソン・ウェルズの『市民ケーン』(Citizen Kane, 1941)についても批判的な評論を書いている。当然、ゴダールは受け入れることができなかった。
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