2012年4月21日土曜日

三井物産戦略研究所 | 寺島実郎の発言


結局ブッシュとは何者だったのか—米大統領選挙への視座

もしアル・ゴアが二〇〇〇年の大統領選挙で当選していたならば、九・一一同時テロという悲劇は起きなかっただろうか。そして、アフガン攻撃・イラク戦争という泥沼地獄は回避されたであろうか。簡単に答えることはできない。米国の中東における血塗られた歴史を考えれば、米国への憎悪に満ちた攻撃は何らかの形でなされていただろうし、米国の反撃も政権の如何にかかわらずなされたであろう。ただ、歴史の女神は二一世紀初頭という大切な時期の世界の指導国のマウンドにジョージ・ブッシュとうい非力な人物を立たせ、寒々とした世界を作り出すという皮肉な演出をしたのである。

二〇〇〇年大統領選挙における全米での得票は、民主党のゴアが五一〇〇万票、ブッシュが五〇四六万票であった。にもかかわらず、選挙制度の魔術とでもいおうか、州ごとの獲得選挙人の数ではブッシュ二七一人に対してゴア二六六人となり、当選を決めた。問題のフロリダ州では、投票総数約六〇〇万票のうち、わずか五三七票差でブッシュが同州の選挙人二五人すべてを得たが、数え直し如何では逆転もありうるとうい奇妙な勝利であった。あれから八年、ブッシュ政権はアメリカと世界に何をもたらしたのであろうか。

疲弊するアメリカ—イラクシンドロ−ム

定点観測のごとく、年に四〜五回は米国を動いているが、この夏の東海岸訪問では改めて「イラクとサブプライムで疲弊するアメリカ」を印象付けられた。かつて「ベトナムシンドローム」という表現がベトナムで傷ついたアメリカを象徴する言葉として使われたが、正に「イラクシンドローム」というべきアメリカが見えてきた。ノーベル賞受賞経済学者J・E・スティグリッツの『三兆ドルの戦争』(邦訳『戦争経済』)が話題となっているが、これはイラク戦争が〇七年末の段階で、四千人を超す米軍兵士の戦死者(本年八月二五日現在、イラクとアフガニスタン合計では四七一九人)だけでなく、負傷者六・七万人、心的外傷後ストレス障害(PSTD)五・二万人という人的被害をもたらし、米国経済に総額三兆ドルにのぼる負担を余� ��なくさせるという現実を検証している。

疲弊するアメリカを象徴する数字に注目したい。一つは米ドルの下落である。今世紀に入って七年半の間に米国のドルは欧州の通貨ユーロに対して7割下落した。自国の通貨が七割価値を失う悲しみを欧州に旅する米国人はかみ締めている。「パリのアメリカ人」は何もかもが七割高になり、意気消沈している。逆にニューヨークを訪れる欧州の人々は「七割引」を享受しており、サブプライム・ローン問題噴出後低迷が続く米国不動産市況の中で、マンハッタンが意外に持ち堪えているのも欧州からの投資であり、欧州企業による米国企業買収の動きとともに「米国を買い占める欧州」という様相を呈している。

二つはエネルギー価格の高騰である。九・一一の直前、二〇〇一年八月のニューヨーク先物市場の原油価格(WTI)はバーレル二七・二五ドルであった。今年に入って、一四七ドルにまで高騰していたWTIも、一二〇ドル前後にまで落ち着いてきたが、それでもこの七年で四倍になったということである。「イラク戦争は石油のための戦争」とは言い切れなくとも、米国人の深層心理において、米国の長期エネルギー戦略として「イラクを確保することはプラスだ」という漠然たる期待があったことは否定できない。ところが、米国の青年の死骸を積み上げてまでイラクに展開したのに、見返りどころか気が付けばガソリン代も四倍を超す事態になり、苛立ちは耐え難いものになっているのである。


世界の8つの人工の驚異は何ですか

私がニューヨークを訪れる度に意見を交わすユダヤ人実業家がいる。東海岸で活躍するユダヤ人の多くは知的職業に従事し、パレスチナ問題についても、普段は「中東和平」に前向きな議論をする傾向がある。ただし、イラク戦争に際しては、「サダム・フセインを排除することはイスラエルの安全にプラスだ」という判断があったのか、イラク攻撃を支持する人が多かった。ところが、このところ論調が変わっており、昨年末に会った頃は「ブッシュ政権は史上最悪の政権だ」といい始めていたが、今回は「ドル暴落とガソリン高騰を招いた犯罪的政権だ」と語気を強めていた。

いうまでもなくドルの下落と石油価格高騰は相関しており、背後には米国の求心力の低下がある。一九九一年にソ連が崩壊し、冷戦の終焉が告げられた頃、「米国の一極支配」「唯一の基軸通貨ドル」などという表現が世界認識の中心に据えられていた。「新しい世界帝国」などという人もいて、二一世紀はアメリカを中核とする世界秩序が深化する時代という判断が流布していた。しかし今、我々が目撃しているのは「多極化」などという言葉さえ突き抜け、「無極化」とでもいうべき全員参加型秩序を模索する世界である。

この夏、洞爺湖サミットにおいて確認したことも、米国がイラク戦争の先にいかなる世界秩序を構築するのかについて、さらに米国発の金融不安をいかに制御するのかについて、一切の構想も展望もないということであり、G8といわれる世界の先進国も結束して地球規模の課題に立ち向かう力を持ちえていないということであった。

二人の団塊の世代—クリントンとブッシュ

ブッシュとクリントンという二人の米大統領は、ともに一九四六年生まれのベビーブーマーズ、つまり日本で言う団塊の世代である。つまり、米国はクリントンの八年間とブッシュの八年間、実に一六年間も団塊の世代の指導者にその命運を委ねたことになる。

ブッシュとクリントンはあまりにも対照的な同世代人である。二人はともに米国が第二次世界大戦に勝利した翌年に誕生し、米国のGDPが世界の四割近くを占めた黄金の五〇年代に少年期を過ごした。そして、高校生から大学生にかけて、ケネディー暗殺、ベトナム戦争に向きあい、一九七五年のサイゴン陥落後、青壮年期において「ベトナムシンドローム」に苦闘する米国を体験した世代であった。

クリントンが、「ベトナム反戦、フリーセックス、ドラッグ」というあらゆる流行のテーマに手を染め、この世代独特のいかがわしさとでもいうべき価値破壊的傾向を有するのに比べ、ブッシュという人物にはそれまでのアメリカに対する懐疑や問題意識は一切なく、従順に親の定めた人生を歩んだ不思議な男である。常に、第四一代大統領たる父ブッシュの影を追うがごとく、高校(マサチューセッツ州フィリップス・アカデミー)も大学(エール大学)も父と同じコースを歩み、「いちご白書世代」といわれた同世代の人間が必ず巻き込まれた「公民権運動」や「ベトナム反戦運動」にも一切の興味を示すことなく、スポーツと酒と女という私生活主義に埋没した青年期を送った。ベトナム戦争への徴兵についても、徴兵忌避とはい� ��ぬが、父親の影響力よってテキサス州の空軍に参加することで巧みに危険を避け、常に「体制側」に身を置く微温湯のような人生を送っている。


ハリー·ポッターは本7に住んでいません

W・ストラウスは第二次世界大戦期を軍人として体験した世代を「GI世代」と呼ぶ。父ブッシュがこの世代であり、戦勝世代としてのGI世代の描くアメリカ像に疑問を抱くことも無く、親の七光で能力と努力以上の地位に上り詰め、単純な善悪二分の宗教論に取憑かれたかのごとき人物がブッシュといえる。米国のパブやプライベートクラブでこういうタイプの米国人は珍しくない。友としてジョークを言い合う関係ならば好ましい相手だが、二一世紀初頭の悲劇はこうした人物を「世界の指導者」にしてしまったことである。

九・一一の衝撃と歪んだ国際主義への回帰

二〇〇〇年の大統領選挙を州ごとに分析してみると、西海岸と東海岸の海岸線に面した諸州における選挙人獲得数において、ブッシュは一八七対七七で対立候補ゴアに敗北している。東海岸のバージニア州以南の海岸線の諸州、つまり南北戦争時に南軍であった州を除く東西海岸線のアメリカにおいては一八七対四という極端な敗北であった。つまり、ブッシュを当選させたのは内陸のアメリカだったということである。

「内陸のアメリカ」は内向きのエネルギーを蓄積してきた地域といえる。米国人のパスポート保有比率は一五%前後で推移しているが、内陸のアメリカでは一〇%を割り、一生のうちで一度も海外に出ることを想定しない人々が大部分である。それだけ自己完結した国ともいえるのだが、全国紙などの存在感の低い米国では、国際情勢などほとんど報道されないローカルな新聞だけが受け入れられているのが、内陸のアメリカの特色でもある。勢い世界の出来事に全く無関心な内向のエネルギーに支配されがちなのだが、評価が微妙なのは、内陸のアメリカこそ「健全なアメリカ」ともいえる地域だということである。つまり、海岸線のアメリカが商業主義に浸った「マネーゲームのアメリカ」という傾向を濃くしているのに比べ、勤労� ��尊び、宗教心の厚い人々によって成立している地域でもある。

いずれにせよ、ブッシュ政権は、この内陸のアメリカの内向きのエネルギーに支えられて成立したことにより、「アメリカ・ファースト」とキャッチフレーズを掲げて登場した。「米国の利害が第一だ」ということで、海外から過大な期待や負担を押し付けられることを拒否し、自国利害中心主義で行くと宣言したのである。事実、ブッシュ政権はスタートしてから九・一一までの半年、前クリントン政権がコミットしていた環境問題における京都議定書から離脱し、ICC(国際刑事裁判所)にも入らないという方針を示し始めた。

九・一一が起こった直後、私は『中央公論』の特集「米国テロ事件と日本」(〇一年一一月号)において「世界史の深層底流は何か」を書いたが、強く抱いていた問題意識は直前の同年九月上旬の欧州訪問で感じた「孤立主義に向うブッシュの米国に対する不吉な予感」であった。その予感が同時多発テロという形で米国を襲った時、あまりの衝撃にブッシュ大統領は「これは犯罪ではなく戦争だ」と叫び、戦争というカードを切ってアフガニスタン、イラクへと進撃した。


ジョージア州の減量のサマーキャンプ

九・一一は冷静に検証すれば「一九人のテロリストが起こした組織犯罪」であり、一九人のうち一五人はサウジアラビアのパスポートで入国しており、最近の情報では「一五人のうち八人は偽造パスポートを使われただけで、現在もサウジアラビア等で生存」ともいわれている。つまり、国境を超えた組織犯罪を犯罪として処断することを放棄し、逆上して「戦争」にのめりこんだのである。歪んだ形での「国際主義への回帰」であり、「米国の理想(政治的には民主主義、経済的には市場主義)を世界最大の軍事力で実現しなければならない」というチェイニー副大統領を中心とするネオコン(新保守主義)の論理の突出であった。内向きの自国利害中心主義とネオコンの力の論理は対照的なもののようだが、実は根は一つで、自らの� ��値への過信であり、米国への全能の幻想である。

ブッシュは戦時大統領、つまり戦争を指揮する大統領である。過去の戦争を指揮した大統領との対比によってその性格が際立つ。第一次大戦を指揮したW・ウィルソンはベルサイユ講和会議に国際連盟構想を提示し、国民国家間の紛争を制御する国際機関の設立を主導しようとした。第二次大戦を指揮したF・D・ルーズベルトは国際連合、IMF・世界銀行、GATTなどの構想を推進した。つまり、戦後ビジョン、戦争を超えた先に実現したい秩序を模索し、そのための制度設計に腐心した。ブッシュがかろうじて発信したメッセージを受け止めるとすれば、それは「カウボーイ・メンタリティー」、つまりカウボーイ映画の主役の心象風景にすぎない。悪を懲らしめる正義の保安官が「報復の美学」(やられたものはやりかえす)に陶酔する程度 のものであり、世界を指導する責任ある政治家の戦争を超えたビジョンはどこにもない。

オバマ現象の行方

八月末の時点で、米国の世論調査の動きにおいて、オバマ対マケインの支持率は、一時のオバマ優勢は影を潜めてほぼ拮抗という情勢にある。これから党大会、本選という段階になって、TV討論などを通じて次第に優劣が見えてくるであろうが、全く予断を許さない。

皮肉なことだが、もし大統領選挙の投票権が米国以外の人にも与えられたならば、オバマ当選となるであろう。七月に欧州を回ったオバマ歓迎の熱気がそれを証明している。だが、世界の人の期待がオバマに向おうと、米国民の指示がオバマに向うとは限らない。とくに内陸のアメリカは世界の目線など気にかけていないのである。

しかし過去の米大統領選挙を振り返るならば、やはり時代が人を呼んできたことに気付く。例えば、ベトナムシンドロームに苦しむ米国が一九七六年に選んだのはJ・カーターだった。ジョージアのピーナッツ畑の農園主で宣教師のような空気を漂わせた「癒しのカーター」は、ベトナムで傷ついた米国にとって必要だったのだ。政治家としての指導力や構想力はともかく、『何故ベストを尽くさないのか』という彼の著書に流れるメッセージは、ベトナムの悲劇をもたらしたワシントンのエリート(ベスト&ブライテスト)とは異なる誠実・謙虚・篤実という印象で、アメリカの空気を変えたといえる。その後、冷戦の終焉をもたらしたレーガン、冷戦後の「平和の配当」という時代を演出したクリントンと光と影を内包しながらも、そ の時代を象徴する人物を登場させてきたといってよい。


もし今、地に堕ちた米国のイメージと米国の疲弊から米国を蘇らせるシナリオを考えた場合、オバマは都合のよいカードである。「結局、米国は黒人にも大統領になる機会を与える国だ」という話は極めて説得力のあるメッセージである。オバマの政策や能力を超えて、ケニア人の留学生と白人女性の子供として米国の辺境たるハワイに生まれ、再婚した母親とともに義父の国インドネシアに移り住み、人種の多様性を与件として育ったという事実は、国際社会での米国の信頼を回復するために有効な要素となりうるのである。

オバマはバイデンという副大統領候補を選び、外交安保における自らの経験不足を補おうとしているが、民主・共和両陣営ともに、国際社会での米国の正当性(LEGITIMACY)の回復という課題に向き合わねばならない。その時、日本はどうするのか。日米関係はどうなるのかを論ずるよりも、「どうするのか」が重要である。

問われる日本の姿勢

ブッシュ政権が九・一一の衝撃を受け、アフガニスタン攻撃からイラク戦争へと突き進もうとしていた頃、私は本誌二〇〇二年六月号に「見えてきた米新外交ドクトリン―その危険性に日本は耐えられるのか」を書き、米政権内部に「ネオコン」と呼ばれる勢力が台頭している情勢の危険を指摘し、本誌二〇〇三年四月号に「『不必要な戦争』を拒否する勇気と構想―イラク攻撃に向う『時代の空気』の中で」を書いた。両論文とも単行本『脳力のレッスン―正気の時代のために』(岩波書店、二〇〇四年)に所収されており、自らの時代認識とその後の経緯を検証する鏡として読み返すならば、九・一一後という二一世紀初頭の世界環境の激変に対し、日本がいかに受動的にしか対応できなかったかが確認できる。ちょうど一九五〇年� ��の米国に「マッカーシズム」と呼ばれる反共パラノイア現象が繰り広げられたごとく、九・一一の衝撃を受けたブッシュのアメリカが思考回路を失い「第二のマッカーシズム」とでもいうべき狂気の時代に入った。

日本はブッシュ政権の特異性に気付かず、米国についていくしか選択肢はないという思考停止の中で、「ショウ・ザ・フラッグ」に呼応してインド洋に自衛艦を、「ブーツ・オン・グランド」に応えてイラクに陸上自衛隊をという政治判断をした。「解釈改憲」までも強行しての海外派兵であった。

中東でいかなる軍事介入をしたこともなく、中東のいかなる国にも武器輸出をしたこともないという日本の中東地域外交の強みを自ら否定し、「軍事貢献なき国際協力は評価されない」という思い込みと「軍事力なき大国はない」という誘惑に引き込まれていった小泉外交は、結局は「米国の要望があればいかようにも変容する日本」という国際イメージを形成し、ブッシュのアメリカとともに沈下する日本をもたらした。

「米国なき世界」とさえいわれる全員参加型秩序に向かう世界において、「日本は米国周辺国にすぎない」という近隣の目線を超えて、米国への過剰依存と過剰期待のパラダイムを脱却することが、二一世紀日本の基軸とされねばならない。米新政権がいかなる形になろうと、米国は国際社会での正当性(LEGITIMACY)を取り戻す努力をせざるをえない。苛立つと自国利害に内向しがちな米国を、国際社会の建設的関与者に引き込み、アジアおよび世界から孤立させないこと、それは日本の役割でもある。


グルジア情勢に投影されているロシアの大ロシア主義への回帰、北京五輪で民族意識の高揚期を意識しはじめた中国を核とする大中華圏の台頭、さらにはペルシャ湾の北側でのイラン・イラクにまたがる巨大なシーア派イスラム勢力圏の形成などユーラシアのダイナミズムの新局面に、冷戦期の固定観念を引きずった外交では対応できないだろう。米軍再編に呼応し、米軍と自衛隊に融合を安易に進めることの危険を認識すべきである。二一世紀の日米同盟を「大人の相互関係」に進化させるべき局面である。



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